将棋で負けると言うことは、どこかで間違った手をさしたと言うことですか?
将棋で、負けると言うことは、どこかの時点で間違った手をさした。選択に誤りがあったということですか?
常に最善手をさせば、負けることはないということですか。
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質問本文と補足のご質問が少し違うようなので、一つずつお答えします。
将棋で負けるということは、確かに実戦的にはどこかで間違えたということになります。
将棋はあまりにも複雑なゲームなので、人間及び現代のコンピューターでは完璧に指すことは不可能です。
例え名人戦級の勝負でも、何割かの手は最善手ではない手なはずです。
少々極端な言い方をすれば、将棋はより多く悪手を指した方が負けるゲームということになります。
補足に関してはその通りです。
理論上必勝法が存在するという点で、将棋は五目並べや○×と同じ性質を持っています。
最善を尽くせば先手が勝つなどの将棋に対する「結論」が出ることもありえます。(もっとも、かなりの時間を要しても難しいだろうというのが通説です)
前後しましたが、常に最善手を指し続けても相手も最善手を指し続ければ上記の「結論」の通りの結果になります。
しかし実戦的には、相手が最善手を指し続けられるはずないので、まず間違えなく勝ちます。(そもそも自分も指し続けられるはずありませんが)
余談ですが、常に最善手を指し続けられる存在は、仮に「将棋の神様」と呼ばれています。
将棋の神様同士が戦えば、振り駒で先後を決めた瞬間に勝敗が確定するということになりますね。
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こんばんは。
将棋で負けるということは、何処かで間違った手を指したという
ことだと思います。全くその通りです・・・。しかし、常に最善手を
指し続けたからといって、それは絶対的な”勝利”を、多分保障は
しないと思います。何故でしょうか?お互い、”生身の人間”同士
が指しているからです・・・。
将棋では、最善手をお互いに積み重ねていっては、僅かな差を
絶対に縮めることはプロ同士では至難の業ですから、その段階で
”負け”になってしまいます。だから、”揺らぎ”を喚起するのです。
それを”嵌め手”と言ってしまっては身も蓋もありませんが、そのような
ことを平気で、幾らでも仕掛けてくるのがプロなのでしょう。そして、
それに引っかかったら、そこでゲームオーバーです。おっかない世界
ですね・・・。
米長邦雄の”泥沼流”こそが、プロの一つの姿だと思います・・・。
相手に敢えて、”手”を委ねるのです。勿論、思惑はありアリでです。
しかし、お互いにプロですから、悲しい位に相手が考えていることを
”理解”出来てしまうのだと思います。滅多に”鬼手”や”名手”が
出現しないのはそのような理由だからだと思います・・・。
だから、”升田幸三”が如何に凄い将棋指しだったかが”再確認”
出来ます。
大山が”王貞治”なら、升田は”長嶋茂雄”です。将棋指しの永遠
の憧れ、それが升田幸三という”男”なのだと、私は思います・・・。
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全てのゲームは数学的に、先手必勝、後手必勝、引き分け、のどれかになります。
例えば、三目並べ(いわゆる「まるばつ」)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%9B%AE%E4%B8%A6%E3%81%B9
は、お互い最善の応手をすれば「引き分け」にないrます。
この三目並べで負ける、ということは、間違った手を指したと言えます。
6×6オセロは、後手必勝、ということが分かっています。
つまり、お互い最善手を指し続ければ、後手が勝ちます。
・後手が負けるということは、後手が間違った手を指したと言えます
・先手は最善手を指し続けても、後手も最善手を指し続けたら、先手は負けます
さて将棋ですが、数学的に、先手必勝、後手必勝、引き分け、の
どれなのかまだ分かっていません。
・先手必勝であれば、お互い最善手を指し続けても先手が勝ち。
・後手必勝であれば、お互い最善手を指し続けても後手が勝ち。
・引き分けであれば、お互い最善手を指し続けたら、引き分け。
上記以外の結果になる場合、負けた方が間違った手を指した、と言えます。
ただし、これは神様レベルの話であって、現在の人間はプロで
あっても、お互い何らかの間違いは必ずしているはずです。